最低賃金の引き上げと景気回復:賃上げで景気回復するのか

日本では賃金が低いから経済が成長しないんじゃないの?だから賃金を上げると景気は良くなると思うんだけど…

政治を見ていても「賃上げを要請」「最低賃金を引き上げ」という言葉が聞こえてくるけど、こういった考えには大きな欠陥があるんだ。
「最低賃金を引き上げれば、みんなの給料が増え、消費が活発になり、日本経済は良くなる」
「景気が悪い原因は、企業が内部留保をため込んでいることだ」
こうした主張を、ニュースや政治家・SNSなどで見聞きしたことがある方は多いのではないでしょうか。
実際に日本政府も、2020年代のうちに最低賃金の全国加重平均を1,500円まで引き上げるという目標を掲げたり、ここ最近は最低賃金の引き上げが続いています。
- 賃金が上がる
- お金を使う人が増える
- 景気が良くなる
この流れは一見すると、自然でわかりやすいロジックに思えます。
しかし、本当にこのように上手くいくのでしょうか。
この記事では、「最低賃金の引き上げと景気の関係」について、データに基づいて解説していきます。
以下に該当する方はぜひご覧ください。
ニュースや社会の動きに興味がある人
最低賃金の引き上げで景気が回復すると思っている人
なぜ内部留保が増えているのかを知りたい人
よくある指摘:賃上げすればデフレを脱却できる

最低賃金の議論において、耳にするのが次のような主張です。
「デフレから脱却するためには、まず賃金を上げることが必要だ」
「最低賃金を引き上げれば、低所得者層の消費が刺激され、経済成長につながる」
実際、石破内閣の主要政策においても「物価上昇を上回る賃上げの普及・定着」を主要政策の1つとし、2020年代に最低賃金を全国平均1,500円という目標を掲げていました。
また、内閣府も令和6年度の経済財政報告の中で、
「物価の伸びを上回る賃上げによって需要が増加し、物価が安定的に上昇するといった好循環」の実現を目指す姿勢を示してきました。
つまり、「賃上げ→消費拡大→デフレ脱却」というロジックは、過去の政権の経済政策のシナリオの中にも組み込まれている考え方ということです。
順序が間違っている?

しかし、ここで一度立ち止まって考える必要があります。
それは、「そもそも、なぜ企業は賃金を上げてこなかったのか」という出発点の部分です。
賃上げを促す議論の中には「企業には賃上げの余力(内部留保)があるのに、それをため込んでいる」という前提に立っている物も多くあります。
もちろん、企業の内部留保は増加し続けているという客観的な事実もあり、その内部留保の全てが賃上げや投資に回れば間違いなく景気を刺激することになると思います。
しかし、景気そのものが低迷し、消費者が財布のひもを固く締めている状況(不景気)で、企業がそれでもなお自らの利益を削ってまで人件費を増やすとするでしょうか?
普通に考えれば、答えは「ノー」です。
なぜなら、会社の売上や利益の見通しが立たないのに支出(人件費等)を先に増やすという判断は、経営としてリスクが高く、合理的とは言えません。
日本銀行も、賃金の停滞が長期間続いた要因のとして
「バブル崩壊等の経験を経て、財務改善や将来に備えた現預金の確保を優先するようになったこと」
「バブル崩壊等を受けて、消費者の低価格志向やコストカット姿勢が強まり、価格転嫁が困難となったこと」
を挙げています。
つまり、企業が賃金や投資を抑えてきたのは、単なる「ケチ」ではなく、需要が小さい環境の中での、合理的な経営判断だったと理解する方が実態に近いはずです。
だとすれば、「先に賃金を上げさせれば、あとから景気が良くなる」という主張は、原因と結果の順序が逆になっている可能性があるということになります。
誰が需要を作り出すのか

では、需要が乏しく、民間(家計の消費・企業の投資)が自発的にお金を使いにくい状況で、一体誰が最初に需要を作り出せばよいのでしょうか。
経済全体の総需要は大きく分けて次の3つで構成されています。
- 民間需要(家計の消費・企業の設備投資など)
- 公的需要(公共事業や社会保障など)
- 外需(純輸出:輸出から輸入を差し引いたもの)
つまり、需要不足を解消するには、このいずれか、あるいは複数を増やす必要があります。
このうち、①の民間需要は、まさに「将来が不安だから増やせない」というデフレ下の当事者そのものです。
また、③の外需についても、為替レートや海外の景気動向、貿易摩擦といった自国だけではコントロールできない要因に左右されやすく、政策的に確実に増やせるものではありません。
そう考えると、残るのは③の公的需要ということになります。
政府は、企業のように「売れるかどうかわからないから支出を控える」という制約を民間ほど強く受けません。
景気が悪いときにこそ、公共事業や各種の給付・支援策を通じて、政府が先にお金を使う(需要を作りだす)ことができます。
政府支出から始まる好循環

政府が支出を増やすと、その分のお金は公共工事を受注した建設会社の売上になったり、給付金として家計に届いたりします。
それを受け取った企業や家計は、そのお金を使って新たに買い物をしたり、取引先に発注をしたりします。
すると、そのお金を受け取った別の企業や家計がさらにそのお金を使う…
そのような状況下で、企業が「これなら(絶対に)儲かる」と判断すれば銀行からの借り入れも活発に行われます。
というように、政府が最初に支出したお金が、経済の中を何度もめぐりながら、当初の金額以上に所得や消費を押し上げていきます。
このようにして家計全体の所得が増え、実際にモノやサービスへの注文(需要)が増えていくと、企業もようやく「これなら売れる」という手ごたえを実感できるようになります。
ここまで来て初めて、企業は将来性を感じて設備投資に踏み切ったり、人手を確保するために賃金を引き上げたりする動機を持つようになります。
つまり、賃上げの出発点は「企業への賃上げの要請」ではなく、「政府が支出を通じて需要を作り出すこと」にあるということです。
デフレ下で最低賃金を引き上げると…

先ほど説明した通り、需要が乏しいデフレ環境の下では、企業は自発的に賃金を上げにくい状況にあります。
その状況を放置したまま、法律によって最低賃金だけを先に引き上げるとどうなるでしょうか。
ここでは、日本企業の大多数を占める中小企業の実体とデータをもとに、その影響を具体的に見ていきます。
日本企業の99.7%は中小企業

まず押さえておきたいのは、
日本にある企業のほとんどが中小企業だという事実です。

中小企業庁によると、日本国内の中小企業数は約336.5万社にのぼり、企業総数の99.7%を占めています。
また、そこで働く従業者数は約3310万人で、全体の約7割になります。
さらに、その内84.5%(約285.3万社)が小規模事業者になります。
つまり、最低賃金の引き上げの影響を最も強く受けるのは、一部の大企業ではなく、その他の中小企業だということになります。
賃上げに回せる「余力」

次に注目したいのが、「労働分配率」というデータです。
労働分配率とは、企業が生み出した付加価値(粗利益)のうち、どれだけを人件費として労働者に分配しているかを示す割合のことです。
この数値が高いほど企業の取り分(利益)が少なく、賃上げに回せる余力が乏しいことを表しています。

上記の中小企業庁の資料によると、2024年度における労働分配率は、大企業が47.3%であるのに対し、中規模企業は74.4%、小規模企業は81.5%にのぼっています。
言い換えれば、多くの中小企業(とりわけ小規模事業者)は、稼いだ付加価値のうち8割程度を既に人件費として労働者に還元しているということです。
そのため、経営者の取り分である利益はわずかしか残っていない、という状態が続いています。
つまり、大企業のように「利益をため込んでいるから、その分を賃上げに回せるはずだ」という理屈は、この構造を持つ中小企業にそのまま当てはめることが難しいということが読み取れます。
不景気の中での最低賃金引上げ

このように、そもそも賃上げに回せる余力があまりない中小企業にとって、景気が良くない時期(=売り上げが伸び悩む時期)に、法で定められた最低賃金だけが先に引き上げられるとどうなるでしょうか。
売り上げが増えないまま人件費だけが上昇すれば、その差額は次の方法で対応するしかありません。
- すでに薄い利益をさらに削る
- 人員を減らして利益を確保する
- 価格に転嫁する(値上げする)
しかし、デフレ環境の下では消費者の値上げに対する抵抗感が強く、簡単には価格転嫁できない企業も少なくありません。
また、人員削減や労働時間の短縮でコストを吸収しようとすれば、それは家計の所得を減らすことに繋がり、結果として消費をさらに冷え込ませてしまうという本末転倒な結果になり得ます。
そして、これらの対応でも解決できない場合、最終的には赤字の拡大や資金繰りの悪化を招き、事業の継続自体が困難になる、つまり廃業や倒産に追い込まれる中小企業が出てくるリスクが高まります。
このように、最低賃金の引き上げは、多くの中小企業にとって決して軽い負担ではありません。
以上のことから、需要が回復し、中小企業の売上そのものが底上げされる前の段階で最低賃金の引き上げを急ぎ過ぎると、本来守られるべきはずの労働者の雇用の場が失われてしまう危険性があります。
今までの最低賃金の引き上げと日本経済
ここまでは理屈の話が中心でしたが、以下では実際のデータを参照しながら「最低賃金を上げれば経済が成長する」という主張が、日本の現実と整合しているかについて確認していきます。
最低賃金の推移

まず、最低賃金がどのように推移してきたのかを確認していきます。

厚生労働省の資料によると、最低賃金が時間額表示に一本化された2002年以降、全国加重平均額は上記のように推移していきました。
これを見ると、2002年度の663円から2025年度の1121円まで約69%も引き上げられていることがわかります。
特に近年はコロナ禍の一時的な足踏みを除いて、毎年大幅なペースで最低賃金の引き上げが続いています。
日本経済の推移

では、この間、日本経済はどれだけ成長したのでしょうか。
ここでは、その指標として「実質GDP」を参照します。
なぜなら、GDPとは国内でどれだけのモノやサービスが生産されたのかを表すもので、それを物価の変動を除いた「実質GDP」で見ることによって、どれだけの量のモノやサービスが生産されたのかを知ることができるためです。
GDPの詳細については以下の記事で解説しています。
興味がある方はぜひご覧ください。


上記のグラフは、1990年の100とした時の実質GDPになります。
これを見ると、日本の実質GDPはこの約30年間で1.26倍と、長期にわたって伸び悩みが続いていることが分かります。
また、主要先進国と比較しても、他の国は少なくとも1.5倍、アメリカに至っては2倍以上の推移を見せている中、日本は最も低い値となっています。
つまり、日本経済は客観的に見ると低成長にとどまっているということになります。
賃上げと経済成長の関連

今までの話を整理すると、次のような一見矛盾した状況が浮かび上がってきます。
最低賃金は2002年度から2025年度にかけて約69%引き上げられました。
しかし、その間、日本の実質GDPは長期にわたって低成長が続き、状況が好転したとは言えません。
もし「最低賃金を引き上げれば経済が成長する」「賃上げこそ経済成長の原点だ」という主張が正しいのであれば、これだけ長期間・継続的に最低賃金を引き上げてきた日本経済はもっと力強く成長していても良いはずです。
しかし現実を見ると、そうはならなかったのです。
確かに、最低賃金の引き上げは労働者の手取りを増やしたりと、労働者の中には得をする方もいます。
しかし、経済全体を成長させるというマクロな視点に立つと、最低賃金の引き上げが日本経済にプラスの効果を持ち出すとは言えないということです。
まとめ
政府が支出を増やし、需要を作り出すこと。
政府支出によって民間の所得が増え、需要が生まれて、そして企業は投資や賃上げに動き出せるようになる。
中小企業の経営を圧迫し、廃業・倒産のリスクを高める可能性がある。日本企業の99.7%は中小企業であり、すでに労働分配率は8割程度。
最低賃金は定期的に引き上げられてきたが、日本の実質GDPは長期にわたって低成長のままだった。
この事実は「賃上げが経済成長の原点」という主張と整合していない。
おわりに
最低賃金や政府支出の使い方といった経済政策は、最終的には政治の意思決定によって決まります。
そして、その役割を担う政治家を選んでいるのは有権者である私たち国民です。
確かに経済の話はスキャンダル等とは違って複雑で理解しがたいものだと思います。
しかし、「経済は複雑で難しいから」と政治や経済のニュースから目をそらしてしまうと、その判断はいつの間にか私たちの生活に直接影響する形で帰ってきます。
だからこそ、自分なりに考えてみる習慣を持つことが大切だと思います。
この記事がそのきっかけになれば幸いです。

この記事が皆さんの参考になれば幸いです^^
< 出典 >
厚生労働省:https://www.mhlw.go.jp/index.html
中小企業庁:https://www.chusho.meti.go.jp/
内閣府:https://www.cao.go.jp/
日本銀行:https://www.boj.or.jp/

